『日本人はなぜ無宗教なのか』要約
『日本人はなぜ無宗教なのか』
(阿満利麿・1996年・ちくま新書)
「読書ノート」の提出をしなければならないので、これの要約をしてゆく。ただ、いかんせん読むのが遅いので、1日では完成せず日がたつにつれ要約が進んでいくと思います。
日本人には「無宗教」を標榜する人が少なくないが、無神論者は極めて少ない。
筆者は、宗教を「創唱宗教」と「自然宗教」の2つに分けている。「創唱宗教」は特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人がいる宗教だが、「自然宗教」は自然発生的な宗教であり無意識に先祖たちから受け継がれ今に続く宗教だ。
初詣やお盆は日本人が「自然宗教」の信者である証拠だ。ではなぜ我々は容易に「無宗教」を口にするのか。それは、日本では「自然宗教」が生活に浸透し習慣となった時、それはもはや宗教と見なされなくなるからだ。
さらに、現実を重視する儒教が近世に広まって、死後の往生に重きを置く仏教(「創唱宗教」の好例)は敬遠された。
だから、日本人は、熱心な「自然宗教」の信者でありながら「創唱宗教」に対して無関心なのだ。そして、明治新政府がキリスト教や仏教などに対する名称として「宗教」という訳語を作った時、「自然宗教」は「宗教」の訳語の範囲に入らなかった。
それが、「無宗教」だという日本人が多い理由の一つである。
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